昔は本が嫌いというか読むひまがなかったし、実践あるのみだったし、体験しながら考えればいいやとしか考えていなかった。人間て変わるんですね。年とともにテレビより本のほうがはるかに面白く、今は図書館で分厚い小説を借りてきて夜中に目が覚めるたびに本を読んでいます。眠り薬代わりになります。年を取ると睡眠導入剤を飲んでいる人がすごく多いのですが私は飲んだことがありません。眠れないなんてめったにありませんし、眠くなかったらどんなにいいかとおもいます。
さて夕べみかづき(森絵都)という本を読み終わりました。その中の一文です。常に何かが欠けているみかづき。教育も自分と同様そのようなもの。かけている自覚があればこそ人は満ちよう,満ちようと研さんを積むのかもしれないという一文がありました。これは話が読まないとわからないですが他のことにも言えるんではと思ってブログに書こうと思いました。
満月たりえない頭上の月を悩ましく仰ぐ若い人たち。なかなか自分の理想の人に会えないで次々お見合いを重ねている人たち。最後は案外ポトンと気持ちが落ちてなんだこんなひとかと思う普通の人と結婚するものなんですね。でもその普通の人が二人にとっては決して普通ではない大事な人になるのが縁があるという事ですね。あばたもえくぼ。他人様がどう思おうとあのひと、この人のほうが良かったんじゃないと親が思おうとそんな事はもう耳に入らなくてこの人でいいのとなって初めて婚活も終了するものなんですね。
後は野となれ山となれ。自己責任です。水を飲みに湖にご案内するまでが我々の仕事。美味しいことを祈りつつ送り出しています。皆さんも水を飲んでください。みかづきだった月もきっと満月に二人には見えてくるんではないでしょうか、、、。