家柄?ハーって若い人は思うでしょうね。いまは死語に近いですけれど昨日はっきり目にしました。
私の中学校のK先生(女)がハワイの別荘でなくなりました。あちらで荼毘に付され昨日お別れ会が開かれました。
何と200人くらいの出席者で我々のクラスは10名くらい。年賀状を差し上げている方が招待されました。
そこで見た情景はこの年までで初めてのカルチャーショックでした。先生は今の東京芸大の音楽科を出てわれわれの中学に初めて赴任されたらしく、3年間担任だったせいで毎年クラス会が開かれていました。その折にも一度も自慢話が出なかったので芸大出身とか亡くなったご主人が国家公務員の偉い人だったり本州四国にかかった橋の総裁だったとか全く話されませんでした。ドイツ語、英語、フランス語が堪能であることも知りませんでした。
其処まではまああまり驚きませんでしたが、友人がもちろん同じくらいの88才位の方たちが入れ替わりソプラノ歌手のように歌ったり、ピアノを弾いたり、初めてあのお年の方たちの、すごいレベルの高さにびっくり。
当時はピアノのある家など近くには1軒もない時代に、ピアノを兄弟が皆弾くその他の楽器をあやつる家なんてまるで皇室関係しかないのではと思っていましたが実際あったんですね。
私の言いたいのは家柄が違うと結婚してからも相当苦労するのではということです。お金持ちや高級取りはお金だけなら全然平気ですが格式や家柄というものは急には身につかなし、当人は相当誇りを持っていますから、家全体に漂う空気にはなかなかきついものがあるのではということです。
自分に合うレベル、同じくらいの生活感がないと自分が劣等感を持ってしまいますね。
しかし今はそういう格式の高さはめったになく1億皆普通でしょうかね。
親がピアノを弾いたりお父様お母さま言葉の家庭は今は少ないですね。
レベルっていうのはそういうものでお金だけではないですね。昔の格式のある家庭はきついですよ。そんな感じを受けた上流階級の集まりでいた。