高齢者の恋なんて気持ち悪い。まあ同年齢でもそう思いますのでわかいひとならなおさら。まして自分の親ならなおのこと。
しかしこればかりはその年にならないとわからないし、自分が当事者にならないとわからないものです。恋はするものでなく落ちるもの。そんな言葉もありますが人間いくつになってもある日突然落ちてしまうこともあるのではないでしょうか?
読売新聞の人生相談には60代70代の男女が多く載っていた様です。例はここでは書ききれませんが妻が他界し10数人の女性と交際した際にダブってしまったとか、60代女性が30代年下男性に恋心を抱いたり、70代の義母が病気の妻がいる50歳下の男性と交際したり結構例はいっぱい載っています。
回答者の樋口恵子さんは”年を取るとときめく対象が減って行くのも事実。恋は生きがいの一つとして大切に育ててほしい。とコメントしています。
若者と違い高齢者には子供、財産、など抱えるものがあるが、自分の思いを優先していいと思う。御互いや家族を傷つける不倫はともかく、恋愛そのものは自由。結婚だって子供に反対する権利はない。相続などいろいろ問題があったとしても長い人生の後半戦を充実させるため自分自身の恋愛を大事にするべきでは”と話している。
結婚する高齢者も増えている。全世代の結婚総数は2000年以降減少傾向
なのに65歳以上だけ見ると男女とも増加傾向を示す。
一方親のこうした姿を子らは複雑な表情で見る。
親の恋愛や結婚に戸惑いがある上結婚によって自分たちが相続できるはずの財産が減ってしまうからだ。
親は子供との思いを捨てきれないがいまどきは自分の幸せも考える人も増えている。60代なら人生100年時代にあと40年一人でさみしく送らなければいけないのか?子供たちだって自分の家庭に一生懸命で親に心を寄せてくれるわけでもなし。寂しんですよね。せめて御茶のみ友達や旅行友達である異性が居ったていいじゃないですかね。
連れ合いが健在の人や家族に囲まれている人には決して独り者のさみしさ、空虚感はわからないのに、汚いとか、いい加減にしろとかっていう権利はないですよね。子供にも自分らしく生きる権利があるのと同じに親だっていつまでも子供のためだけに犠牲になり尼さん的な未亡人生活を送らされるいわれはないわけで。でも女性も男性も子供にも心が残り出来たらうまい関係でいたいんですよね。
友人で一生独身の女性が先週は肺がんの手術を受けました。ステージ1で見つかったそうですが切ったら6センチもあったそうです。昨日医者に結果を聞きに行ったら一人で来たんですか?お連れの方はと聞かれたとか。
最初から結果を聞くのが怖くって近所の友人に付き添いを頼んでいたそうですが、こういう時ほど夫や子供に付き添ってもらいたいのではと思いましたね。私ならそうですし、最後なくなるときは皆に囲まれて手を取ってもらって死にたいものです。一人で助けを求めてもだれも来てくれなくてもがき苦しんでなくなるなんて嫌です。
連れ合いがいるいないは、今若い人が未婚でいいやと思うのは若いからですね。仕事を退職して独り者がだれにも必要とされなかったらわびしいですよ。仕事がある間はいいのですが人間、年は取りますからね。
よくよく考えてください。若いうちは高齢者なんて自分にはない未来人間に見えるかもしれませんが、この頃自分が高齢者になってきたらいろいろなものが見えてきたんですね。人間その年にならなければ見えないものが実にいっぱいあります。
50歳の人は20歳のころの自分が別人に見えませんか?若いという事は案外横柄で自信過剰なことが多いですね。他人をバカにしたり年寄りや先輩を逆に見下したり。しかしいずれ自分の行く道なのでよく観察してどう思っているのか見てあげる心の広さを持ってください。