男性が結婚を考える第1は寂しいからだそうです。
若いころ私は都内でお勤めをしていて、上野で乗り換えていました。一人で人込みを歩いているとすごく寂しくなることが多かったと覚えています。
家に帰れば家族がいましたが、こんなに多くの人の中で自分は孤独だなあと感じることが多かったです。
また結婚して仙台に転勤で行ったころ、夕方東京のほうを見てはさみしくてさみしくて、あのネオンが恋しくて。あの頃新幹線もなく、東京に確か4時間もかかるのでおいそれとは帰れませんでしたので。また長距離電話がすごく高く、母が毎月4万もかけて電話してくれていたり。携帯などもなかった時代でした。
主人が単身赴任で奈良に行っていたときも子供の相談も長距離電話ではできず、そのころ同じマンションにいた単身赴任の3人組がさみしさを紛らわすためによる8時集合で、子供を寝かした後に我が家でお茶のみをしました。
またニュージーランドに別荘を買って3か月ごとに行き来していたころ、あちらに行くと私はすぐにホームシックにかかりさみしくて日本に思いをはせてしまっていました。ネットをつなぐにも面倒な時代でしたが、ネットはどうやら日本とつながりかえって日本恋しさが増しました。ですから私は海外に永住はできないなとすぐ思いました。またお寿司が大好きなのでお寿司の店まで4時間も車を走らせたりこんなことなら何もこんな遠くまで来ることなんかないやとすぐ分かりりました。北島三郎の演歌が海外では、心をを揺さぶりました。
若いころの方が寂しがり屋だった気がします。
3人の子供がみな独立した今は不思議なことに一人ってこんなに気が楽なんだわとやっと孤独の味がわかってきて、自分の考えで何もかもやって自分の好きに生きるっていいんじゃないと思えるようになりました。
だからかつて親を手元に引き取ったはいいが親は帰りたがったという話の意味がやっと分かりました。
息子の世話になってそこで一人部屋で暮らすってすごく堅苦しいものだと思います。
ある人は孫が自分の部屋に入り浸るのをお嫁さんが嫌がりついには行かせなくしたなどという話を聞くと、オー,嫌だと思います。独立した子供とはもう相いれないのではないでしょうか?
自分の連れ合いと年取って仲睦まじく暮らすのが理想でしょうが、一人になったら一人で暮らすことになれるとその先には大いなる自由と気楽さがありますよ。それもこれもにぎやかな家庭を子らとともにすごした後から感じる自由なのかもしれませんね。
子らは幸せにやっていてくれればいいのです。自分のことは自分でやりますから。たまに一緒ににぎやかな食事をするくらいがいいですね。
一人になったら同じくらいのお友達、がいるのが理想ですね。恋人がいたらもっとときめいていいかも知れません。第3の青春、人間死ぬまでときめきがあれば幸せですね。しかし人を好きになるということは同時にさみしさも感じることではありますね。
さみしさよこんにちわ、さようなら。